
ここからは聖域ですよ、ということを示す紅箭門。日本の鳥居と似ている。


造餅廰(造餅庁)

かつて祭祀用のお餅をつくった場所

典祀廳
祭祀用の料理を調理したり、担当者が執務を行なっていたところだ。





御井
祭祀用の水はここから汲まれていた。

慶基殿(キョンギジョン)入場


韓服の人もけっこう多かった


正殿



李成桂の肖像


李成桂(イ・ソンゲ)については、広通橋の記事でふれたことがあるが、彼が朝鮮王朝を開いたことにスポットを当てれば、慶基殿がどういった施設なのか分かりやすくなるかもしれない。
高麗の名高い武将であった李成桂は、中国で明が新興としてあらわれたときに、明を討伐するために軍を率いて出陣すると見せかけて、鴨緑江の威化島で引き返して高麗の王都を攻め、実権を掌握し、高麗の最後の王から王位を継承し、国王となって国号を朝鮮と改めた。
朝鮮王朝の太祖となった李成桂の先祖、李翰(イ・ハン)は全州出身で、全州李氏の子孫たちは全州を先祖を祀る聖地と考えてきた。
そのため第3代の王・太宗(テジョン)は父・李成桂の御真影(肖像画)を奉安した御容殿を置いた。御容殿は慶州や平壌にも置かれたが、全州に置かれた御容殿が慶基殿である。