
チェチリア・メテッラ通りを南西に行き、突き当ればそこはアッピア旧街道である。チェチリア・メテッラの墓あたりから、アルケオバスと660番のバスが通っているので、それに乗るためか、もしくは一休みのためか、腰を下ろしてる人がけっこういた。

北西に上がればカタコンベ。南東に下ればアッピアの遺跡

Capo di Bove
チェチリア・メテッラ通りとのT字路から下ったら、まもなくして見られる遺跡。どういった遺跡なのかは分からないが、「牛の頭」と呼ばれている。

右の標識に解説?が
画像を拡大して自分なりに翻訳したら、どうやら歴史文化省といったような役所の大臣による標識で、「アッピア通りの複合史跡、国有財産」となった。つまりここが重要史跡、史跡指定区間になっているということか。

しばらくは、現代の敷石の路面がつづいていた

往時の石畳の路面
この石畳が見えてきたとき、私は飛び上がらんばかりだった。早速しゃがみ込んで昔の路面を手で触ってみた。
ローマ式の街道は、車道と歩道を区別し、中央の4m強の幅の車道は4つの層からなっていたそうである。最上層は接面がぴたりと合うように切った一辺が70cmはある大石を、すき間無く敷き詰めていた。車道と歩道の境目には、なんと排水溝まで走っていて、雨で道に水がたまって荷車の車輪がとられることのないようにしてあったという。

…ローマ街道の特色の一つは、車道の両脇を排水溝が走っていたことである。幅四メートル、深さ一メートルの主道内に雨水が浸みこんで溜まってしまうような状態は、街道を堅固に保つうえでも絶対に避けねばならなかった。
まず、街道の表面がゆるい弓形になるようにして、降った雨水や積もった雪のとけ水が自然に両側に流れるようにする。そしてその水は、排水溝に流れこむ。排水溝には、水が道の外側に浸み出すように、ところどころに穴が開いていた。この構造ならば、道の上が水びたしになる状態は避けられる。ローマのエンジニアのモットーは、「岩は味方だが水は敵」なのであった。
塩野七生『すべての道はローマに通ず(ローマ人の物語Ⅹ)』(新潮社)p36

自転車で街道を訪れる人も
ドミネ・クォ・ヴァディス教会までにある街道のインフォメーションで自転車が借りれるらしいので、自転車で街道を下る人もけっこういたのだが、昔の敷石の路面を走行するにはやっぱりきついようで、側道を走っている姿をよく見かけた。


遺跡も現われだした

これは最近のものだろう
つづく。